観光スポット

5つの観光案内板が設置されました!!

 平成25年度長井まちづくり基金事業(観光交流部門)の助成決定を受けて準備を進めてきた次の「5つの観光案内板」が設置されました。  

   殀ヶ森伝説−【八ヶ森駐車場】 
 ◆ 飮碍舛凌后檗數免ヶ森中腹】 
  −ヒメサユリの丘−【北八ヶ森山頂】    
 ぁ 歙島焼和久井窯− 
 ァ 殤袖廾翔管−
 

 地元豊田の観光資源を理解できる内容になっておりますので、是非現地を訪れご覧願います。

 

「八ヶ森伝説」
 
今泉山は通称八ヶ森と呼ばれ、北八ヶ森(面積約5ha、山頂267m)と南八ヶ森(面積約8.5ha、山頂256m)からなる周囲の山々を眺望できる景勝地で、八ヶ森自然公園として長井市民の憩いの場となっている。 地元今泉地区民の保全活動により、桜、あじさい、つつじ、アベリア、ドウタン、ヤマボウシ、やまつつじなどの花木や山形県全市町村の木が植樹され、さらにヒメサユリの群生保存に力を入れるなど、訪れる人の目をなごませている。 八ヶ森の由来は、平安時代後期の奥州(東北地方)を舞台とした戦役「前九年の役」(1051〜1062)で安倍頼時が謀反し、源頼義・義家(八幡太郎義家)父子が東北にくだって頼時を征伐することになったとき、安倍貞任に攻めたてられ、今泉の陣が峯に一旦退いて対陣したことなど、源義家(八幡太郎義家)の合戦に関する伝説があることにちなみ、「八ヶ森」と呼ばれている。 また、源義家が馬を走らせ馬が水を欲して動けなくなったとき、矢じりで土を掘るとこんこんと水が湧き、この水を馬に飲ませて元気が出たとの伝説がある「八幡清水(はちまんしみず)」も南八ヶ森の南東下に現存している。 さらに、源義家が夢の中に虚空蔵尊が現われ戦に勝つためのお告げを受けて勝利したことに深く感謝し、北八ヶ森の麓に神社を建て祀られている。 このように、今泉山(八ヶ森)は自然環境が豊かで歴史を彷彿させる地である。 八ヶ森のシンボルである樹齢約250年の「種松」が北八ヶ森の山頂に育っていたが、平成24年(2102)に松くい虫の被害に遭い伐採された。現在は実生の松が順調に生育し、再び八ヶ森のシンボルとなることを期待し、地区民あげた保全活動を実施している。


 

 「山形の森」
 
 山形の森は、昭和57年(1982)から昭和63年(1988)にかけて八ヶ森自然公園造成事業の一環として、豊田地区公民館が主体となり整備したもので、山形県44市町村(現在は35市町村)の木が植栽されていることから、「山形の森」と命名している。  植栽されている市町村の木は次のとおり。
 

                         
 

 

 

 

 

「ヒメサユリの丘」
 
 ヒメサユリ(姫早百合・姫小百合)は、別名オトメユリ(乙女百合)とも呼ばれるユリ科ユリ属の日本特産のユリ。宮城県南部、及び新潟県・福島県・山形県が県境を接する飯豊連峰・吾妻山等にしか群生していない貴重な植物で、野生種は環境省のレッドリストに指定されている絶滅危惧種になっている。 多年草で、開花時期は6月〜8月。高さは30〜50cm程度。花は横向きに咲く1〜3個のじょうご状鐘形、薄いピンク色をした可憐で美しく、花の香りは甘く濃厚である。花径は5〜 6cm、長さは8cm程度で先端はわずかにそり返る。雄しべは花の中に入っていて、横からは見えない。花粉は黄色。葉は広披針形または狭楕円形で長さ5〜10cm、幅3〜3.5cm、先端は急に狭くなっている。球根は卵形。良く似たユリにササユリがあるが、ヒメサユリは雄しべの先が黄色くなっているところで区別される。 ヒメサユリは今泉山(八ヶ森)全域に自生し、さらに地区民の球根植栽等により大事に守り育てられている。

 

 

長井市無形文化財指定「成島焼 和久井窯」 (成島焼) 


 成島焼は、米沢上杉藩中興の祖「上杉鷹山公」が藩財政を支えるため、殖産興業の一環として、今から約230年前の天明元年(1781)、相良清左ェ門に相馬焼を学ばせ、米沢市の成島に窯を築かせたもの。 絢爛豪華な絵付は用いられず、海鼠釉(なまこゆう)、黒釉(あめぐすり)と窯の焼成によって生じる窯変(ようへん)だけで作品を仕上げるのが特徴。これは質実剛健を重んじ、驕奢なものを嫌った上杉氏の気風を反映しているといわれ、藩内の需要に応じた水がめ、片口、平鉢、飯鉢などが作られ、藩の経済安定に果たした役割が大きかった。 明治中頃まで焼き続けられ、大正時代から昭和10年頃まで、嵐田氏により再興されるものの瀬戸物に押されるなどの諸事情により廃窯された。 和久井窯初代の和久井富二夫氏は、昭和40年に長井焼としてスタートしたが、米沢の有力者や文化人から幾度も米澤藩の成島焼を再興・復興との依頼と協力を求められ、成島焼和久井窯として再興するに至った。 (和久井窯) 今泉山の西の麓一体は、昔から良質の陶土が出ると伝えられ、須恵器を焼いた窯跡や須恵器のかけらが沼地や田から出土している。また、今から約210年前の文化・文政時代(1804-1829)に、加賀国九谷焼の陶工が米沢藩に来て、今泉の陶土に惹かれ、擂鉢等の日用品を焼いたとの言い伝えもある。 昭和12年(1937)、山形の平清水焼の経験を持つ和久井陶管創業者の和久井利蔵氏が今泉山の陶土に着目し、土管や瓦の製造を始め現在に至っている。 利蔵氏の二男富二夫氏は、この陶土が京都の野々村仁清が始めた有名な御室焼(おむろやき)に使われている陶土に匹敵するものであることを発見、この陶土を使って伝統を生かした郷土色豊かな陶芸品を作りたいと念願し、長年の試作を経て、伝統ある素朴なしぶい成島焼の味を出すことに成功、県美展25年連続入選をはじめ現代工芸美術展連続入選などの功績を残している。 和久井富二夫氏は、これらの功績により平成22年(2010)1月29日に長井市の技芸第1号に認定されている。 富二夫氏の長男修氏は、独自の技法による磁器の分野を開拓し、洗練されたデザインにより多数の賞を受賞しているほか、成島焼和久井窯の継承者として新たな伝統を築いている。


  「和久井陶管」
 
 今泉山の西の麓一体は、昔から良質の陶土が出ると伝えられ、平安時代の須恵器を焼いた窯跡や須恵器のかけらが沼地や田から出土している。 今から約210年前の文化・文政時代(1804-1829)には、加賀国(現石川県)九谷焼の陶工が米沢藩に来て、今泉の陶土に惹かれ、擂鉢等の日用品を焼いたとの言い伝えがある。 昭和12年(1937)、山形市平清水焼の経験を持つ先代の和久井利蔵氏が今泉山の陶土に着目し、陶管(土管)や瓦の製造を始め、現在に至っている。 陶管(土管)は、粘土を材料にした自然素材で作られ、主に水田の暗渠排水用として使用されている。一般的に使用されている塩化ビニール製のパイプと異なり、多孔性の構造であることから、外表面に付着した地中水や微生物を管内に導入できるなどの利点があり、環境に優しい素材として注目されている。 陶管は、かつて全国の工場で生産され水田の暗渠排水に使用されていたが、塩ビパイプの普及に伴い、現在は北海道、山形、新潟、関東、四国及び九州の10工場で生産されている。 和久井陶管は、東北で唯一の製造工場となっており、山形県内をはじめ、主に東北各県に出荷され、生産性が高く品質の良い稲作生産に貢献している。

2013.10.29[観光スポット]
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